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『月ノ光太陽ノ影』AnotherMoon

◆ ◆ ◆

  SS

『仮面家族』(一輝編)

『戒め』(周藤編)

『渇望』(遊佐編)

『不機嫌な日々』
      (智也編)



『渇望』(遊佐編)  

君のために罠を張る。
微笑みを浮かべて君を待つ。
騙すことには慣れている。
可憐な華の戯言を。
甘い蜜の偽りを。
優しいため息のような嘘を。
世間知らずな君は、きっと瞬く間にオレの手に落ちる。
罠だということにも気付かずに、オレの微笑みを信じている。

   ***

「…あ、遊佐さん!おはようございます!」

「よう。今日もご苦労さん!」

太陽が下降を始めた時間に起きたオレは、軽くシャワーを浴びた後メシも食わずにすぐ店に行った。
ある日突然、任された店だ。
昔からの『友人』の頼みだった。
『表の顔』は全国規模のレストラン事業やってる結構なやり手。
新しいブランドを作るから試験的にそこの店長代理やってくれと適当に頼んで来た。
その頃オレは念願の自分の店を開いたばっかりだった。それにそもそも堅気の商売にはあまり興味がない。だけど、そいつは色々恩のあるヤツだった。仕方なく、引き受けた。 とは言っても形だけの役職で直接顔出す必要はない。 なのにこうして自然と足が向いちまうのは、やっぱそこにいるバイトの若い連中 が面白いからだと思う。
興味だけで動く。オレの悪いクセ。

「…あ!遊佐さんだー!」

「お。なんだよ。いやにはしゃいでんじゃねぇか」

「なあ聞いてくれよ!俺、こないだ相談した彼女、ゲットできた!」

「おっ…マジか?やったじゃん!」

「スゲー嬉しいよぉ!遊佐さんのお陰だ!」

「ばか、可愛いこと言うな。とにかく、よかったな」

若いヤツは大抵この類いの話に血迷ってる。
ふと、オレのコイツの年齢のときを思い返す。
金のことしか考えていなかった。

「なあ、遊佐さん…」

「ん?なんだ。変な顔して」

今度は別のヤツだ。
妖怪にでも出くわしたような顔してる。

「智也のやつが変だ」

「どう変なんだよ」

「恋がしたいとかボケッと呟いてる」

「…そいつは変だな」

「あいつ頭打ったらしいんですよ。…だからかな」

「誰かにふられたんじゃねえの?」

どいつもこいつも、恋、恋、恋。
犬っころみたいに懐いてくるヤツら。大抵の悩みが恋だ。
くだらない。人間が最もバカになるもの。それが恋。
だけどオレはそういうくだらないものが好きだった。
自分ができないことだからかもしれない。
オレは、恋を知らなかった。


数日後、智也が1人の女の子を連れて来た。
智也は分かりやすい。
一方、彼女は全く気付いていないようだった。
彼女───特殊な環境にある、まだ少女の幼さを残した智也の幼なじみ。
親に決められた許嫁がいるらしい。
オレはにわかに興味がわいた。
予め敷かれたレールの上を走っている彼女がそこから転げ落ちたとき、一体どうなるんだろうという興味が。

「なあ智也」

「なんすか」

「あの子のどこを好きになったの?」

「なっ…!な、何言ってんすか!!」

「おいおい、なんでそんな狼狽えてんだよ。別に特別な意味で言ったわけじゃねえよ」

「あ…、え?よ、よく分かんねえ…」

「分からないの?幼なじみのどこが好きか」

「…考えたことねえっす」

「そういうもんか…」

一見してとりたてて魅力はない。いたって普通の女。
けれど智也は夢中だ。
こんなにもてる男がずっと一途に想い続けている。
何か理由があるはずなのに、智也は分からないと言った。
そういうものなんだろうか、恋は。

オレには恋が分からなかった。
恋は知らなかったが情は知っていた。
けれどいつしかそれも無くなった。
情のもたらす安堵と幸福。
それはいずれ必ず絶望と不幸に取って代わる。
その事実に気付いてからは、情はオレに必要のないものだと悟った。
いずれ消えてしまう幸せならば最初からいらない。
そんなことはずっと以前から知っていたはずだった。
けれどあの日、オレはそれを改めて思い知らされた。
それ以来強く心に戒めた。
オレはもう、誰も信じない。
誰にも心を許さない。

   ***

生々しい人間関係に疲れていた時期。
大学の帰り道、通り過ぎる花屋で毎日花を買った。
常に本を持ち歩き貪るように読んでいた。
内容は何でもよかった。
ただ白い紙の上で規則的に並んだインクの文字に心安らいだ。

「タク」

「…なに」

「そんなにいつも本ばっか読んで疲れねえのか」

「ああ。おっさんだっていつも絵ばっか描いてて疲れねえの」

「まあ…時々はな。年のせいだ」

「…オレは読書以外のことの方が疲れんだよ。今は」

「女か」

「それもある」

「本にも女は出てくるんじゃねえのか」

「本の中の女はいい。第一、においがしない」

「なんだそりゃ」

「…においだ。現実は臭う。酷く臭う」

本を閉じた。
タバコの煙の中、キャンバスの上で捩るように筆を動かしている彼を見つめる 。
錆びついた目をしていた。
奥に宿る優しい光。
この街で生きるには優し過ぎる光だ。
オレは悲しくなった。

「おっさん」

「うん」

「その絵、完成したら売ってくれ」

振り向いた顔はまるで土くれ人形のように無表情だった。

「…バカ言うな」

「本気だよ」

「こんなもんが欲しいのか」

「欲しい」

「……分かった。やる。金はいらん」

それは彼を繋ぎ止めたいだけの言葉だった。
彼はそれを見抜いていた。
数日前からその顔に色濃く漂っている不吉な影。
オレはただ、それを消し去りたかっただけだったのに。

数日後、おっさんは描きかけのキャンバスを塗り潰してぶっ壊した。 その残骸の上で、首を吊っていた。
オレの置いて行った花は、洗面所の水の中で腐ってた。

   ***

「遊佐さん。寝ぼけてんすか」

オレを呼ぶ声。
大音量で流れる騒がしい音楽。
居酒屋の狭いカウンター。
隣の智也がむっつりとした顔でオレを見ている。

「…ちょっと酔ったんだよ」

「嘘つけ。底無しのくせに」

「…なあ、智也。やっぱお前、手に入んねえから躍起になってるんじゃないの」

「えっ…」

「許嫁がいるからだろ?」

「か…関係ねえっすよ…」

「ふーん。…分かんねえなあ」

「…な、何でそんな…知りたがるんすか」

「え?…興味あるから」

「遊佐さん…あいつのこと興味あるの?」

「彼女っていうか、お前と彼女。あと許嫁ってヤツの関係が興味ある」

「なんだよそれ…」

「知ってるだろ。オレは人間観察が趣味なんだよ」

だけど今回はそれだけじゃない。自分でも分かってる。
オレの中の何かが彼女を見た瞬間に音を立てて動いた。
一見とりたてて魅力のない女。
なのに、どうして。
オレが何より知りたいのは、この自分の中の変化だ。
それはなにか、予感というものに近かった。
オレはこの先、この子に深く関わるようになるだろうという予感。
数多の種類の人間を見て来たオレが味わう、初めての感覚だった。

「関係も何も…別に。あいつには許嫁がいて、おれのことなんか眼中にない。… それだけっすよ」

「そうか…」

「……仕方ねえっす。…間違ってんのは、おれの気持ちの方なんだから」

智也の目が僅かに曇る。
覚えのある色。敗北者のそれ。
───錆びついた瞳。

「……そろそろ、引き上げるか」

オレは、智也から目を逸らした。

   ***

ふらふらと歩き慣れた街へと帰る。
オレの産まれた街。オレの育った街。
目を射るネオン。奥へ進むにつれて澱む空気。酔っ払いの怒号。女の嬌声。
人。ひと。ヒト。
ここに来て、初めてオレは息を吹き返す。
優しい夜の懐。
暗くなめらかな闇は温かくオレを呑み込んでくれる。
入り組んだ路地の先。看板のないドア。
そこはオレの城だった。
昂っていた心が落ち着いて行く。
なぜ、あの日のことを唐突に思い出したのか。
忘れたわけじゃなかった。だけど、思い出したくなんかなかった。
彼女に出会ってから、オレはどこかおかしかった。
智也の片思いの女。許嫁のいる女。
気になるとすればそんなことだけのはずなのに。
そう言えば、彼女は悩んでいるようだった。許嫁との仲を。それを智也に打ち明 けているらしい。
知らないとは言え、残酷なことをする。
彼女は周囲の感情というものをあまり分かっていないようだった。
自分と許嫁のこと以外、見えていない。
無知は罪だ。それだけで人を傷付ける。
要するに彼女はまだ幼かった。
捩じ曲げようと思えばいくらでも捩じ曲げられる、柔らかな心。
残忍な衝動に一瞬目の奥が熱くなる。
オレは、あの子をどうにかしたいのだろうか。
自分でも、よく分からなかった。


   ***


いつも通りの仕事を終えて、朝方、帰宅途中の電車の中。
この時間帯はラッシュだから気が滅入る。
だがそれは心地良い疲れだ。
これから働きに出る連中と、寝に帰るオレ。
無意味な優越感が僅かに滲む。

ふと、ドアに寄り掛かる制服の女の子が目に入った。
あの子だ。
途端に、胸の奥が原因不明の熱を孕む。
窓にぼんやりと映る景色を眺めている虚ろな表情。
心ここにあらずと言った頼りない雰囲気。
智也はこの危うさに惹かれたのだろうか。
じっと見つめていると、唇が微かに動いたのに気が付いた。
許嫁の名前でも呼んでいたのかもしれない。
彼女の頭の中は一日中、恋人の存在に埋め尽くされているんだろう。
そう思った瞬間、なぜだか苛ついた。
一途な想い。遠くにいる恋人を信じて待つその健気な眼差し。
全てに、腹が立った。
彼のために悩み、苦しみ、焦がれるその気持ち。
それは本物なのか?
予め敷かれたレール。脱線したら君はどうなる?
試してみようか。少し大きな石を置いて。

そうか。
オレはようやく気が付いた。
これは、嫉妬だ。
周囲を全く省みることなく、1人の人間を信じることができる彼女への嫉妬。そ して、その絶対の愛情を受けることが出来る男への嫉妬。
オレの頭を様々な過去が躍り巡る。
信じ、裏切られ、その度に暗黒の縁を這いずり回って来た自分の姿。
騙した方が勝者だった。騙された方はただの負け犬だ。
そこに善悪の観念は無い。いつだって、正しいのは勝者。それが当たり前のルール。
それにも関わらず、オレは憧れていた。
いらないと言いながら、欲しがっていた。
鼻で嗤いながら、唾を吐きかけながら、焦がれていた。
けれど、それはオレの手には入らない。
オレのこの汚れた心には、似合わない。
ジリジリと焦げつくような欲望。
泣き出したいような屈辱。
腹の底で何かが鎌首をもたげる。
叶わないのならば、いっそ。

   ***

君のために罠を張る。
微笑みを浮かべて君を待つ。
騙すことには慣れている。
可憐な華の戯言を。
甘い蜜の偽りを。
優しいため息のような嘘を。

 

電車は規則的な音を立てて、滑らかに走って行く。
何も気付いていない君と、君を見つめるオレを乗せて。
冷え切った頭で楽しい企みを甘噛みしながら、目を閉じる。

このまま君を連れ去ったらどうなるだろう。
昏い衝動に微笑みが浮かぶ。

無性に君を、抱きしめたかった。



(C)aromarie